世界で有数の大富豪にまで上り詰めた麻薬王「パブロ・エスコバル」。その壮絶な人生や関連の作品、息子や娘といった点についてご紹介していきます。
この記事で触れる事
パブロ・エスコバルの概要
まず、はじめにパブロ・エスコバルの基本的な部分についてまとめていきたいと思います。
パブロ・エスコバルのプロフィールは以下のようになっています。
- 名前 パブロ・エスコバル
- 年齢 1949年~1993年没(44歳)
- 出身 コロンビア
となっています。様々な肩書を持っていますが、一般的には、麻薬関連の密売を行って利益を得る組織である麻薬カルテル「メデジン・カルテル」の創設者として知られています。
パブロ・エスコバルの肩書はあるようですが、wikipedeaには
職業 犯罪者、テロリスト、実業家、政治家
という肩書で紹介されており、実業家からテロリストまで、一見するとかなり遠い存在に感じられる肩書になっていると言えます。
それもそのはずで、パブロ・エスコバルはただの麻薬密売人といった面のみではなく、犯罪行為を行うについて様々な面から人の注目を集めたかなり興味深い人物になっています。
この記事ではそんなパブロ・エスコバルの人生を生い立ちからご紹介していきます。
パブロ・エスコバルの生い立ち
歴史に名を残したり、伝説的な犯罪者というのは、だいたい親がもともとギャングだったり、問題のある家庭だったりと、複雑な家庭環境で育ったというケースが少なくありません。
しかし、パブロ・エスコバルに関してはそれほど複雑な家庭では無かったようで、裕福とは言えず、貧困を感じる環境で育ったようですが、学校に行けないほどか?というとそうでもなかったようです。
今のレベルで考えた時に貧困の部類にはいりますが、メデジン(コロンビアの第二の都市、大阪的な場所)の中では、一般的な家庭だった模様。
また、パブロ・エスコバルの生い立ち~少年期というのは、起業家や大富豪に親しいものがあり、成績優秀で地頭もかなり良かったようです。
少しやんちゃな面はあったかもしれませんが、小学生から中学生までは一般的な学生とそれほど大差は無かったようです。
また、パブロ・エスコバルの母親は教師だった事から、教育に対する意識が高かった可能性もあるでしょう。
パブロ・エスコバルが犯罪に手を染めるまで
しかし、パブロ・エスコバルの人生の転換期となったのは、高校生の頃です。この頃から、非行に走るようになり、墓石の名前を消して転売するという犯罪行為によって高校を中退する事になります。
学校を中退したパブロ・エスコバルは、徐々に犯罪に手を染める頻度が高くなります。
一般的に日本で凶悪犯罪と呼ばれるような事件は一通り行ったというのが、一般的な見方になっており、犯罪で生活を送るという日々が続く事になります。
もちろんのことですが、やはり犯罪と麻薬というのは非常に近い存在にあり、パブロ・エスコバルが犯罪との関係を強める内に、自然と麻薬の密売が一番稼げるという結論になった模様。
そこから麻薬密売を行う事になり、パブロ・エスコバルが作り上げたカルテル「メデジン・カルテル」は、1970年前後に出来たと見られています。
メデジン・カルテルとパブロ・エスコバル
パブロ・エスコバルとメデジン・カルテルの成長から最も調子の良かった時期についてご紹介してきます。
イノベーションだったメデジン・カルテル
南米の犯罪組織と言うと、やはり麻薬組織というイメージがある方も少なくないでしょう。しかし、コロンビアにおける反社会的な勢力というのは、もともと麻薬を扱っていた訳ではありませんでした。
麻薬以外の密売品や盗難品等が反社会的な勢力の収入となっており、麻薬密売に比べるとそれほど大きな収益を挙げるものではありませんでした。
しかし転機となったのは時代背景です。1970~80年代の事ですから、当時アメリカではヒッピー文化等もあり、麻薬に関するニーズが大きく上がっていたのです。
そこに目をつけたパブロ・エスコバルは、密輸ルートを持っている人物や大きな犯罪組織等を仲間に引き入れながら、メデジン・カルテルを作っていく事になります。
新たな大きな収益源が出来たという点では、ある種コロンビアの反社会的な組織にとっては、革命的だったのです。
拡大するビジネス
パブロ・エスコバル率いるメデジン・カルテルは、当初コロンビアの地理的な理由から、ペルーと言った生産国から輸入を行いやすかったのです。
それを、マイアミ・キューバに転売するというビジネスを行っていました。つまり、
- 生産(誰がどこで作るのか)
- 密輸(どうやって持ち込むのか)
- 流通(どうやって売るのか)
の中継地である密輸を担っていた事になりますね。
大きな収益を上げるになり、パブロ・エスコバル達は徐々に干渉する部分を増やしていき、密輸の観点で優位性のあったメデジン・カルテルは最終的に「生産・密輸・流通」といったすべての部分を握っていくようになります。
こうなると収益を爆発的に増えていくので、かなり潤っていたようです。
1980年~から、メデジン・カルテルの勢いというのはかなりのものになり、アメリカ大陸にある国はもちろんですが、アフリカ・アジアと言った国にまで販売網を増やしくいく事になります。
もちろん、このような動きにアメリカ政府・コロンビア政府が黙っておく事もなく、メデジン・カルテルは麻薬関連の犯罪組織では最も警戒される存在となり、様々な妨害に合う事になります。
政治家になるほどまでに
パブロ・エスコバル個人に焦点を当てた時に、かなりの財産を手に入れていたので、かなりの豪邸を建てたり、高級車を乗り回す等、王道の大富豪生活を送る事になります。
但し、同時に慈善事業を行っていた側面も存在しており、一部の市民からは支持を受ける事になり、1982年にはコロンビアの与党に入党、議員として活躍する事もありました。(わずか、カルテルとの関係が発覚し、1年でしたが)
ただ、この時にパブロ・エスコバルは政界との関係を強くしたと言う説もあります。
大胆な密輸方法は映画にも・・・
メデジン・カルテルが利用していた密輸方法が映画になった事もあります。密輸パイロットを演じたのは「トム・クルーズ」。その名も「バリー・シール/アメリカをはめた男」。
簡単に、あらすじを紹介すると、普通のパイロット(腕は良い)であるトム・クルーズが、大手航空会社のパイロットから密輸パイロットになるまでを描いた映画となっています。
もちろん、映画に伴って脚色された部分もあるでしょうが、かなり詳しく描かれており、スリルもありながら、徐々に密輸事業を拡大していくにつれて変化していくトム・クルーズの人間性が面白かったです。
パブロ・エスコバルの当局との衝突とその後
パブロ・エスコバルと当局の争いについてまとめていきます。
政府に目をつけられる
コロンビアの犯罪組織なので、コロンビア政府に目をつけられるのはもちろんですが、アメリカとの取引を頻繁に行っていたので、アメリカ政府からもやっかいな存在となり、アメリカ政府とコロンビア政府は協力関係となります。
もちろん、パブロ・エスコバルは大激怒します。この頃になると(80年代後半)、メデジン・カルテルの規模感はもちろん、潤沢な利益を利用して軍隊とも対抗出来るとも言われるほどの武装組織となっていました。
もちろん、当局との争いは激化していき、その武力を利用してかなり手こずる事になります。(この麻薬戦争で亡くなった方は数万人を超えるとも)
また、武力による戦いはもちろんですが、銀か鉛か(銀はお金、鉛は銃弾)という言葉が出来るほど、役人や政治家を賄賂によって買収し、汚職が蔓延したと言われています。
航空機の爆破、政治家の暗殺、その他の爆破テロ、敵対組織等、波乱に満ちた1980年代後半となります。
パブロ・エスコバルの最後
一時期は刑務所に収監された事もあったパブロ・エスコバルですが、大統領がパブロ・エスコバルを恐れていた事もあり、刑務所はパブロ・エスコバルの私物のようなものでした。
その後、刑務所から堂々と脱走すると(徒歩で普通にデたらしい)、アメリカ・自警団(パブロ・エスコバルに恨みを持った人達が結成)・コロンビア政府といった3つの組織から追われる事になります。
最終的には、パブロ・エスコバルの家族が逮捕されたり、組織の人間が亡くなったりと徐々に崩壊していき、パブロ・エスコバルは自宅で当局の精鋭部隊からの攻撃によって、この世から去りました。
パブロ・エスコバルの資産が伝説的
パブロ・エスコバルと言えば、世界でも有数の資産家になった事でも有名です。なので、パブロ・エスコバルの資産について触れていきたいと思います。
年間で兆を超えるカルテルの収益
メデジン・カルテルは、バハマ諸島を中継地にコロンビア~バハマ諸島~アメリカという順番で密輸を行っていました。
また、密輸していてた量というのも膨大で、1日で15トンもの麻薬を、アメリカ国内に輸出していたようです。一時期は、アメリカ国内の8割以上がメデジン・カルテルのものだったという説も・・・
もちろん、収益というのもかなり巨大なものになり、収益が大きすぎるが故に、輪ゴムだけで1ヶ月に40万円もの経費が掛かっていたようです。(お金をまとめるゴム)
その収益は年間3兆円にもなっていたとの事です。もちろん、これがすべてパブロ・エスコバルのものになる訳ではありませんが、やはり凄い・・・
通常のこの規模の利益が出ているような企業は、現金でキャッシュを扱いませんからね。。。輪ゴムのくだりは、反社会的な事業であるからこそだと言えるでしょうね。
パブロ・エスコバルは隠し財産が噂されるほどに
パブロ・エスコバルの資産について結論からご紹介すると、3兆円程度だったと言われています。(世界ランキングで7位になるレベル)
しかし、この点については様々な説が唱えられており、その中でもパブロ・エスコバルは隠し財産をコロンビア中に隠していたようで、本当はもっと資産があったという話も少なくありません。
その隠し財産の総額は5兆円にも上るようで、もしかすると、10兆円とかいう規模で資産を保有していた可能性も十分にありえますよね・・・
ちなみに、このお金に関しても銀行に簡単に預けられるようなお金ではないので、現金で隠していたようで、その特性上、ネズミに食べられたりして数千億円規模のお金が失くなっていた事もあるようです。
パブロ・エスコバルに息子や娘は居たのか?
最後に、パブロ・エスコバルの息子や娘についてご紹介していきたいと思います。
世に出ているものを参考にすると、パブロ・エスコバルは「息子」が居たようようですね(娘も居るという情報もある)
その息子の名は「セバスチャン・マロキン」という方で、パブロ・エスコバルが亡くなった際には、公に報復宣言も行っていたようです。
当初、セバスチャン・マロキンは息子として、パブロ・エスコバルの跡を継ごうと計画していたようですが、報復宣言もあり、もちろん当局から狙われてしまいます。
そんな訳で、彼はその後アルゼンチンに亡命したというのが、公表されている情報ですね。そして、アルゼンチンで麻薬王に・・・なんていう展開でもありません。
というのも、息子のセバスチャンは、現在建築家として一般の方と同じように生活しており、報復宣言も非常に後悔しているようです。
パブロ・エスコバルについてまとめ
今回は、パブロ・エスコバルについて
- パブロ・エスコバルは普通の子供だった
- 一大組織を立ち上げるほどに
- 息子が居る
という点についてご紹介させて頂きました。
パブロ・エスコバルがビジネスの観点から見た時に優秀だったという観点から話される事も少なくなく、彼のやった行為というのは非常に反社会的なものですが、才能があったのは確かのようですね。
もしかすると、パブロ・エスコバルは活躍する・覚醒する場所さえ違うと、後に語られるまでの大実業家になっていたのかもしれない・・・なんて思いました。
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