【光クラブ事件】なぜ逮捕されたのか?山崎晃嗣の壮絶な半生を振り返る!

事件

戦後の混乱に乗じて、様々な人間が今では考えられないようなグレーな方法でお金を稼いでいました。

その中でも、若者の中で目立っていたのは「山崎晃嗣の光クラブ事件」だと思います。

天才が起こした劇場型犯罪の典型とも言える光クラブ事件について

  • 光クラブ事件の始まりについて
  • なぜ山崎晃嗣は逮捕されたのか?
  • 山崎晃嗣の人柄について
  • 光クラブ事件をモデルとした小説や作品

と言った点についてご紹介していきたいと思います。

光クラブ事件の発端

まず、はじめに山崎晃嗣が起業した光クラブ事件の発端である「光クラブ」について詳しくご紹介していきたいと思います。

東大の山崎晃嗣が光クラブを起業

光クラブとは、1948年に東大生だった山崎晃嗣と日本医大生が中心となって設立された会社の事です。

事業としては貸金業を営んでいました。

今の東大生ベンチャーや東大起業と言えば、ハード・ソフト問わずにテック系のものが多かったりしますが、山崎晃嗣が選んだのは貸金業でした。

これは、ともに起業した医大生の影響が大きかったとされています。

というのも、山崎晃嗣と医大生が知り合ったのは山崎晃嗣が訪問した「金融会社」でした。

金融業界に精通していた医大生と天才・山崎晃嗣が手を結んだわけです。

また、そのほかにもメンバーとして同じく東大・中大生等が在籍しており、当時の状況を考えると、全員非常にレベルの高いエリート層であった可能性が高いですね。

天才的なマーケティング

貸金業といえば、やはりいちばんはじめに必要なのは、そもそも貸すために必要な資金ですよね。

この資金を集めるという点において、山崎晃嗣と光クラブのメンバー達は、天才的なセンスを持っており、非常にユニークな広告で多くの資金を集めました。

例えば、以下のような文言です。

『年中無休!天下の光クラブ、弊社は精密な科学的経済機関で日本唯一の金融株式会社』
『遊金利殖、月一割保証』

 

光クラブ事件

また、このような刺激的な文言はもちろんですが、エキゾチックな顔をした女性を全面に出した欧米チックな広告を街なかに登場させる事で、現在の紙幣価値に換算すると数億円規模の資金を集める事に成功したのです。

ドラゴン桜で日本人の大半は東大病と言った旨の名言がありましたが、山崎晃嗣を始めとした光クラブ事件の当事者たちもそれをよく理解しており、資金調達の際は東大の名前もかなり活用していたようです。

山崎晃嗣が中心となって起こした光クラブ事件は、堀江貴文氏と比較する事がちょくちょくあります。
(若者が起業して成功・同じく東大生・同じく逮捕されたという点から)

堀江貴文氏が聞いたら、大否定するとは思いますが笑

ただ、堀江貴文氏は色んな媒体で、大学自体は否定していますが、東大ブランドについては起業の際にも役に立ったと言った旨の発言をよくしています。

このような事を考慮すると、東大に対する世間の反応・認識というのは、この時から大きく変わっていないようですね。

会社は急成長する

斬新なマーケティング・東大ブランドをフル活用した資金調達によって、非常に潤沢な資金があった光クラブは、商店・中小企業を中心に貸金を行いました。

資金調達では月13%の配当を約束し、利子は月20%~30%というかなりの高金利で資金を貸出しました。

現在では漫画でしか見れないレベルの闇金具合ですが・・・

当時の混乱していた日本では、このような金利でも世間に受け入れられたようですね。

このような高金利で貸し付けていたら、もちろん会社はどんどん成長していきます。

半年後には、出資者が数百人を超え、光クラブで働いている人は30人を超える会社に成長。

山崎晃嗣の起業は成功した訳です。

 

 

 

 

なぜ?物価統制令で逮捕!光クラブに暗雲が・・・

盛者必衰・・・光クラブにも終焉が近づいてきました。

物価統制令でオジャンに

山崎晃嗣は、女性関係も非常に派手で、私生活は荒れている事が知られていました。

そんな荒れていた女性関係の1人に税務署のスパイが居て、光クラブの内情を知られてしまったのです。

このような事が起こった背景として、当局としても光クラブを問題視していはいましたが、完全に違法行為とは言い切れないものであり、表立って山崎晃嗣を逮捕・光クラブを追い込む事が出来なかったのです。

そこで、山崎晃嗣の私生活に目をつけ、内側から光クラブの実態を探ろうとした訳ですね。

結局の所、山崎晃嗣は物価統制令という聞き慣れない名前の法律で逮捕されます。

物価統制令とは、戦後の荒れている日本において、急激なインフレを防ぐために導入された法律の事です。

山崎晃嗣はこの法律に抵触しているとして、当局に連行されます。

なぜ、このような法律が適用されたのでしょうか?はっきりとした情報は古い事件のため、確認できなかったですが、おそらく以下の内容に

 

第十条 何人ト雖モ暴利ト為ルベキ価格等ヲ得ベキ契約ヲ為シ又ハ暴利ト為ルベキ価格等ヲ受領スルコトヲ得ズ

Japanese Law Translation

 

難しい言葉が並んでいますが、簡単に言うと「どんな人間も、暴利の契約・価格で取引していはいけません」といった内容です。

おそらく物価統制令の上記の部分に、引っ掛かったのだと思います。

ただ、上記の法律もかなり曖昧に定義されていますし、そもそも内通者を送り込まないといけないぐらい当局も四苦八苦していました。

山崎晃嗣は、そもそも東京大学に入学した秀才です。そして、入学したのはあの「東大法学部」。

逮捕されたものの自身の知識・論法を用いて、結局の所不起訴となりました。

上記のような事を考慮すると、当局は逮捕して刑務所に入れたいというよりも、グレーな内容で活動していた光クラブを、山崎晃嗣を逮捕する事によって妨害したかったというのが、主な思惑であったと見られています。

山崎晃嗣が取った行動

当局の目的が、山崎晃嗣の有罪ではなく、光クラブへの妨害だったとしたら、大きな成功を収めています。

光クラブが原資としていたのは、元々はあり得ないような配当を約束しており、斬新なマーケティングと東大ブランドをフル活用して集めただけの資金です。

山崎晃嗣というトップが逮捕された光クラブ事件の影響で、光クラブの信用はガタ落ち。

出資者は次々と資金を引き上げていきました。

山崎晃嗣は、このような自体に対応するために新たな資金調達を模索し、様々な策を講じるも全て失敗。

同じく東大生で、資金調達を手伝ってくれた友人に「法的に解決したいなら、君は消えろ」と言われる事態に。

光クラブ事件によって、光クラブの存続は絶望的な状態となりました。

いやぁ、女スパイも当局(税務署)も恐ろしいですね・・・笑

山崎晃嗣の最後

天才と言えども、これまで鰻登りで成長していた自身の会社が、光クラブ事件によってオジャンになると、正常な判断はできません。

その後は、漫画に書いたような失敗街道を歩むことになり、株にまで手を出す事になります。(空売り)

株の空売りを行う事によって、3000万円を超えていた債務をどうにかしようと考えた訳です。

成功すれば一発逆転もあったかもしれませんが、失敗。

巨額過ぎる債務に絶望した山崎晃嗣は、青酸カリによってこの世をさりました。。。。

最後まで天才?空売りが成功していた・・・

山崎晃嗣が光クラブ事件の発端となった光クラブを立ち上げたのは

1948年9月

山崎晃嗣の最後は

1949年11月24日

と、約1年ほどの出来事でした。

若者が斬新なアイデアで起業、成功、調子に乗りすぎて当局に逮捕されるという小説に書いてあるかのような展開。

個人的には少し寂しい気もしますが・・・

山崎晃嗣はこれで終わる所ではありませんでした。というのも、山崎晃嗣が最後に光クラブ事件からの再起を掛けておこなった株の空売り。

これが、奇しくも山崎晃嗣の命を絶った数日後に暴落したのです。(空売りは下がる方にベッドするので、大儲けということになります)

もしも、あと数日耐えていれば、若者の失敗で終わっていたのかもしれません。

東大法学部ですし、当時憧れの的だった官僚にだってなれたかもしれません。

惜しいですね・・・

 

 

 

 

 

 

山崎晃嗣の人柄に焦点を当てる!三島由紀夫のモデルにも

激動の1年を送った山崎晃嗣と光クラブ事件。これから、山崎晃嗣に焦点を当てて、ご紹介していきたいと思います。

山崎晃嗣はもちろんエリートだが・・・

激しすぎる半生を送った山崎晃嗣は、父親が医師でした。

それに加えて、地元で市長をしている超絶エリートで、そんな家庭の5男に生まれました。

どっからどう見ても恵まれた家庭に育っていますが、エリートにはエリートなりの悩みがあるものです。

旧制第一高等学校(進学校)への入学というのが、山崎晃嗣の家では重要な要素となっており、山崎晃嗣より上の兄弟はこの学校に入学する事ができませんでした。

このような事もあって、山崎晃嗣は親からの非常に大きなプレッシャーの中、学業に励んでいてたようで、結果的に旧制第一高等学校に入学できますが、兄弟からの嫌がらせを受けます。

また、その後東大の法学部に入学しますが、戦時中ということもあり、従軍する事になりましたが、親友を亡くしたり、上官による隠蔽工作に参加させられたり等、かなり苦労しているようです。

もちろん、戦時中なので日本全体がハードな状況ではあったと思いますが。

派手な私生活が見られる一方で神経質な面も

大学生として従軍が終わった後は、東大にで勉強する事になりますが、かなりモテたようで光クラブを設立した後は、派手さが増したようです。

東大・金・女という世間から嫉妬される三種の神器を手に入れていた山崎晃嗣ですが、神経質な側面も見られたようです。

というのも、学業には非常に真面目に取り組んでおり、一日の予定を細かく管理していたようです。それも、1分・2分レベルのの。

これは光クラブ事件後も変化しておらず、どれだけ派手な生活になっていても、スケジュールで細かく自身を管理するという方針を貫いて居たようですね。

環境に恵まれていれば大天才になってたかも

ここからはタラレバの話にはなりますが、戦後の荒れている日本ですので、戦後経済成長に乗じて成長した伝説的な経営者もこのような側面をい持っていてもおかしくないと思います。(グレーなことをしていた)

今の感覚だと、エリートが調子に乗って失敗しただけですが、当時の状況と相容れないものがあるはずです。

優秀だったのは確かなので、環境が違えばその後の日本の大成長に貢献する一人になっていた可能性は高いでしょう。

天才って、自分の中に厳格なルール・世界観を持っていることが少なくなく、山崎晃嗣もそのタイプだったのかもしれません。

三島由紀夫の小説にも!様々な作品のモデル

この劇的な光クラブ事件は、様々な作品のモデルとなっており、あの三島由紀夫の「青の時代」も山崎晃嗣の光クラブ事件をモデルにしていると言われています。

その他にも東京の門、虚業集団、白昼の死角の資格といった作品に、光クラブ事件をモデルにした人物・事象が出てきます。

2000年以前は、山崎晃嗣おモデルにした作品がいくつか作成されていましたが、2000年以降では我が家の歴史というドラマで、山崎晃嗣をモデルにした人物もが出てきます。

 

 

 

 

 

 

山崎晃嗣と光クラブ事件についてまとめ

今回は、山崎晃嗣と光クラブ事件について

  • 光クラブ事件は貸金業光クラブの山崎晃嗣を逮捕した事件
  • 光クラブは逮捕を受けて危機的状況に
  • 山崎晃嗣は設立から約1年でこの世を去る
  • 様々な作品に影響を与えている

と言った点についてご紹介させて頂きました。

天才のこういう系の話って面白いですよね。

 

 

 

 

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