日本で最も知名度の高い政治家の1人である安倍晋三氏の弟であり、同じく政治家になっている岸信夫氏。
兄の安倍晋三氏はかなり注目されている一方で、岸信夫についてはあまり注目されていない印象がありますね。
しかし、直近では菅内閣にて「岸信夫が防衛大臣」を務めるかも?というニュースが出ていますね。
なので、この記事では岸信夫氏について、
- 一流過ぎる岸信夫氏の家系図
- 岸信夫氏と安倍晋三氏の関係は?
- なぜ名字が異なる?
という点について触れています。
大物ばかり!岸信夫の家系図が凄い
まずはじめに、大物政治家の名前ばかりが並んでいる岸信夫氏の凄すぎる家系図をご紹介したいと思います。
岸信夫氏の家系図は以下のようになっており、
(追記 岸信介の兄弟に佐藤栄作)
出来るだけ見やすくするために、かなり端折っていますが、これだけでもかなり大物が並んでいる家系図である事は分かると思います。
ちなみに、この家系図だけでも「佐藤栄作」「岸信介」「安倍晋三」という三者が総理大臣を経験しています。
上記の家系図の中から、政治家として大成している人物をご紹介していきたいと思います。
戦後日本を築いた!佐藤栄作
岸信夫氏の家系図で、まず注目したいのはやはり佐藤栄作氏でしょう。
岸信夫氏とは大甥の関係にあたります。
基本的なプロフィールをご紹介すると
- 年齢 74歳他界 1901年~1975年
- 旧東京帝国大学法学部出身
- 鉄道官僚から政界へ
- 最終的には自民党所属
といった内容になっています。
戦後の変化が激しい日本で政界入りし(1949年から)、自民党が作られる際にも、様々な権力闘争に揉まれながら、政界を生きた人物です。
日本の首相として長期政権を維持し長らく日本においての最長在任記録を持っていた人物でもあります。
その後、大甥である安倍晋三氏がその記録を破る事になるのもまた面白いのですが・・
佐藤栄作氏については様々な評価があり、賛否両論がありますが、現在の日本の基礎となるいくつかの部分について関わっていた事も事実です。
戦後の日本を作った人物の1人であるとも言えるでしょう。
首相としての功績には以下のようなものが挙げられ、
- 日韓基本条約を進める
- 沖縄返還
- 非核三原則を作る
凄すぎる功績ですね。
特に沖縄返還については、不可能とまで言われていた部分でもあるので、佐藤栄作氏の功績として挙げられる事が多いです。
批判を受けるも安全保障を強化した岸信介
次にご紹介したいのは、岸信介氏です。岸信介氏は、安倍晋三氏・岸信夫氏から見て、祖父に当たる人物で、佐藤栄作氏と同じように首相を経験しています。
岸信夫氏のプロフィールを簡単にご紹介すると
- 年齢 90歳他界 1896年~1987年
- 旧東京帝国大学出身
- 官僚から政界へ
- 56代~57代の総理大臣
となっています。
岸信介氏については、汚職やアメリカからの資金提供(後にアメリカが内政に介入していた事を認めています)等・・・ブラックな噂があり、こちらもかなり賛否両論のある政治家となっています。
ただ、あまり現在の感覚で評価すべきではないという点は考慮しないといけないでしょうね。戦後の混乱していた日本をまとめるにはそう一筋縄でいかないのも事実でしょう。
岸信介氏の功績といえば、やはり「安全保障の要」を築いた事ではないでしょうか。
戦後の日本は経済・政治のどちらもかなり混乱しており、安全保障に目を向けられるような状態ではありませんでした。
そこで、アメリカと日本が結んだのが旧安保条約で、
「アメリカが日本を守ってやるから、まぁ色々融通は効かせてよ」
と言った内容の条約でした。かなり不平等な条約を結ばれていた状態でしたが、防衛に費用を割けず経済復興を優先したい日本はこの条約を結ぶほかありませんでした。
(朝鮮戦争等があり、アメリカにも大きな利点がありました)
ただ、どんどん経済が回復し、豊かになってくると、この条約ではあまりに不平等という事で見直す時期に入ってきます。(日本国民の感情を逆撫でするような米軍による事件等もアリ)
新たな条約が必要という事で改定されたのが、建前上では「日本もアメリカも一緒に守ろう」という内容で、日本にとって不利な内容が削れたのが、現在も続いている日米安全保障条約です。
取り敢えず作った感のある旧条約を、できるだけ対等に同盟国として改造したと言えるでしょう。
この条約に取り掛かったのが、岸信介氏です。
当時は国内で非常に大きな反対運動が起こりました。また、現在でも日米同盟の賛否・条約の内容については不平等な部分があるのは事実です。
但し、現在の日本で米国無しの安全保障は考えられない事を考慮すると、大きな功績であると言えるでしょう。
(全体的にかなり端折っているので、気になるかたは詳細をチェックする事をおすすめします)
佐藤栄作を超える安定した政権を維持した安倍晋三
最後にご紹介したい岸信夫氏の家系図に出てくる人物は、安倍晋三氏です。
安倍晋三氏については説明不要ですね。菅氏に政権を渡す事になりましたが、日本で最も首相を務めた人物となり、安定した政権運営を行いました。
安倍晋三氏についてもかなり賛否がありますが、安定した政権による政治の安定、経済政策に一定の効果、外交における存在感、安全保障の強化等、評価できる部分があるのも事実だと思います。
ちなみに、家系図をチェックして頂いても分かりますが、岸信夫氏の実の兄にあたる人物となっています。

岸信夫氏についてこれまで注目されなかったのが、不思議なくらい豪華な家系図を持っている事が分かりますね。
安倍晋三と岸信夫の名字(姓)が違う理由は養子?
岸信夫氏の家系図の中で、やはり現在の日本国民にとって親しいのは安倍晋三氏ですよね。
弟として紹介される事が多いですが、なぜ名字(姓)が異なるのか、触れていきます。
岸家を存続させるための戦略
結論からご紹介すると、岸信夫氏が安倍晋三氏と実の弟であるのは事実です。
しかし、姓が異なるのは「岸家」を存続させるための戦略でした。
というのも、家系図をチェック頂けると分かるのですが、岸信夫氏と安倍晋三氏は「同じ父親・母親」から生まれています。
ただ、生まれてすぐに「岸信和」の家庭に養子として受け取られて、岸家に入る事になりました。
これにより、岸信夫氏の名字は安倍晋三氏と異なるわけですね。
岸信夫氏が岸家に養子となった理由については、岸信和氏とその配偶者の間に、お子さんが出来なかった事が要因となっているようです。
そのままだと、安倍晋三氏の姓である安倍家の名前が継がれる事になるので、岸家が存続出来ません。(信和氏以外に期待できる人物がいなかったため)
つまり、岸家という名前を残すために、岸信夫氏は知らないうちに養子に入ったということになります。
幼少期は安倍晋三氏をいとこだと思っていた模様
戸籍上では、安倍晋三氏の母親の兄弟の子供。つまり、安倍晋三氏から見て「いとこ」になった訳です。
岸信夫氏も、戸籍を自身でチェックするまでは、養子とは知らず、岸家の人間として生きていた訳です。
もちろん、岸信夫氏から見ても安倍晋三氏はいとこという存在でした。
戸籍謄本が必要になったので(大学の時)、岸信夫氏が戸籍謄本を見てみると、自身が養子である事、いとこのはずだった安倍晋三氏が実は兄だった事を知ったようです。
かなりショックだったようで、一ヶ月位は何も考えられない状態だった模様。
そりゃそうですよね。いとこだと思っていた安倍晋三氏は兄で、母親だと思っていた人はおばさんで、おばさんと思っていた人が母親だった訳ですから・・・
家系図をはたからみると、凄い人ばっかり!なんて感想しか浮かびませんが、エリート家系図にはエリート達なりの苦悩があるようです。
岸信夫氏が弟だと知った安倍晋三氏はどう思ったのか・・・
実は岸信介も養子
岸家を存続するために養子となった岸信夫氏ですが、実は祖父である岸信介氏も岸家を存続させるために養子になっています。
というのも、そもそも論ですが、岸信介氏と佐藤栄作氏は「兄弟関係」にあります。
実の兄弟だったのですが、岸家を存続させるために岸信介氏が岸という姓に変更したのです。
このように、存続させるために様々な施策が昔から行われていたようですね。
ただ、岸信夫氏のケースは少し辛すぎます・・・
岸信夫の家系図・名前についてまとめ
この記事では岸信夫氏と家系図について
- 岸信夫氏の家系図が華麗
- 安倍晋三氏と兄弟関係
- 岸信介氏の孫に当たる
- 養子でその事実を知らなかった
という点についてご紹介させて頂きました。
政治家として、兄の背中を追いかける岸信夫氏。
内閣入りも報道されているので、ぜひ兄以上の活躍を見せて頂きたい所ですね。
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