川淵三郎の経歴・wikiが凄すぎる件!大学は早稲田?学歴についても

スポーツ選手

日本のスポーツ業界に多大な影響を与え続けている川淵三郎さん。

ものすごい経歴の持ち主という事もあって、森会長辞任に伴う後任になるのでは?という報道も出てきていますね。

この記事では、そんな川淵三郎さんについて「高校や大学等の経歴」「現役時代」「引退後の活躍」という4つの点に分けてご紹介していきたいと思います。

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川淵三郎の生い立ちから高校までの学歴

まず、はじめに川淵三郎さんの出身や生い立ちという点から、中学や高校といった少年期における学歴についてご紹介していきたいと思います。

川淵三郎の生い立ちと出身

川淵三郎さんは、大阪府泉北郡高石町という所に生まれます。

生年月日は1936年で、現在84歳。(今年で85歳)

泉北郡高石町という名前に、大阪に在住の方だと違和感を覚えた方も少なくないかもしれません。

というのも、この地域は当時の名称であって、現在では大阪の「高石市」という場所に当たる所に位置しています。

市内の方というよりも、どちらかと言うと和歌山とかに近い大阪の南の方の出身という事になりますね。

1943年に大阪府高石町高石国民学校へ入学し、入学した二年後に太平洋戦争の終戦を経験します。

少年期から、かなり激動の時代を生きてきたという生い立ちが感じられますね。

川淵三郎の中学と高校

小学校を卒業した川淵三郎さんは、その後「大阪府高石町立高石中学校」へ入学しました。

後に、サッカー選手としてのキャリアを築き、日本のサッカー界における重鎮になる人物ですが、中学校にて入部したのは野球部だったようですね。

ただ、「大阪府立三国丘高等学校」に入学すると、その流れが変わります。

高校へ入学した後に、サッカー部へ入部し、才能を開花させはじめました。

ちなみに、この大阪府立三国丘高等学校は、大阪の第二の市である堺市に存在している高校で、大阪府内でTOP10には入る超進学校となっています。

 


その偏差値は70超えと言われており、サッカーや野球といったスポーツの才能はもちろんですが、かなり頭が良かった少年だったという想像に難くないですね。

また、この大阪府立三国丘高等学校の方針としても、文武両道という方針を取っている模様。

有名な出身者としては、川淵三郎さんはもちろん、宇宙飛行士としての経験を持っている土井隆雄さん(2回スペースシャトルに乗った経験がある)等が挙げられます。

 

 

 

川淵三郎の大学は早稲田!大学時代の活躍についても

次に、川淵三郎さんの大学や最終的な学歴について触れていきます。

最終的な学歴は早稲田!早稲田大学へ入学

かなりの進学校に通っていた川淵三郎さん。もちろん、進学する大学も優秀な私立大学として知られる「早稲田大学」でした。

ただ、受験には苦労したようで、高校卒業後の2年ほどは浪人を経験しているようですね。

偏差値は70程度と見られており、早稲田大学でも超難関の学部の1つとなっています。

早稲田大学の第二商学部商学科に在籍していたようで、早稲田大学でもサッカー部に入ります。

ちなみに、この早稲田大学はサッカー部というのはかなり強いということが知られており、関東大学リーグでの優勝が最多という記録を持っています。

大学でも野球で無双

元々、川淵三郎さんが持っていたセンスや、早稲田大学がかなりサッカーが強かったというのも合わさって、川淵三郎さんが所属するサッカー部はかなり無双します。

川淵三郎さんが早稲田大学のサッカー部に所属している間の経歴をご紹介すると、

  • 57年 関東リーグ優勝
  • 58年 関東リーグ優勝
    (日本代表への選出も)
  • 59年 ローマ五輪の予選で戦う
  • 60年 ワールドカップ経験

となっています。

 

 

 

川淵三郎の現役時代の経歴をwikiよりも詳しく

次に、川淵三郎さんの現役時代の経歴をwikiよりも詳しく詳細にご紹介していきたいと思います。

大学時代に優秀な成績を残していた川淵三郎さんは、古河電気工業という会社に入社し、その会社のサッカー部にて、サッカーを続けます。

日本でサッカーが大きな盛り上がりをみせるに至ったJリーグの設立ですが、Jリーグが出来る前のサッカー界に大きな影響力を持っていたのが「丸の内御三家」と言われる3つの派閥です。

その3つの派閥というのが

  • 古河電気工業サッカー部
  • 三菱重工業サッカー部
  • 日立製作所本社サッカー部

となっており、大きな影響力を持つサッカー部の1つである古河電気工業に川淵三郎さんは、入社したという事になりますね。

古河電気工業に入社した川淵三郎さんは、1962年にインドネシアにて行われたアジア球技大会(第4回)に出場します。

アジア球技大会というのは、WW2の終焉後にインドを中心に始まった大会のことで、アジアにおけるオリンピック的な存在となっています。

64年には東京オリンピックに、川淵三郎さんは日本代表として出場。なんとこの大会では、強豪国のアルゼンチンにゴールを決めました。

 

 

 

川淵三郎の引退した後の経歴について

次に、川淵三郎さんの引退後の経歴について触れていきます。

現役引退してすぐコーチに

当時、日本のサッカー界が整備されていなかった事から、国際的な大会でいくつかの活躍を見せたものの、上記したようなもの以外に、目立った活躍というのはありません。

川淵三郎さんは、70年に現役引退をして、直ぐに古河電気工業のコーチとして就任しました。2年後には監督にも就任しました。

古河電気工業の社員としても順調に出世しており、川淵三郎さんは76年にサッカーリーグ常任運営委員になった際に、同年古河電気工業の課長になっています。

その後、90年代までの経歴をご紹介すると、

  • 80年 LA五輪強化部長に
  • 82年 古河電気工業の営業部長に
  • 88年 日本サッカー協会理事に
  • 90年 プロリーグ検討委員会委員長に

となっています。

Jリーグへの関わり

先程、ご紹介した経歴の中にあったプロリーグ検討委員会というのが、後のJリーグへの伏線となっています。

川淵三郎さんの経歴からのその片鱗を感じることが出来ますが、Jリーグが出来るまでの日本のサッカー業界というのは、全体的なシステムが整っておらず、大学のOBや丸の内御三家のサッカー部等が関わっていたにとどまっていました。

つまり、関わっている方の大半がサッカーを行う傍らで、サラリーマンとして活躍しており、川淵三郎さんも丸の内御三家の1つである古河電気工業の社員の1人として年々出世しています。

ただ、徐々に日本でもアマチュアではなく、プロ志向のサッカーを行いたいという思想が勢力を増しており、大きな影響力を持っていた丸の内御三家とは異なった考え方が広まりつつあったのです。

(丸の内御三家はサラリーマンの集まりで、アマチュア志向が強いため)

実際、Jリーグが出来るまでの丸の内御三家の影響力は凄まじく、日本代表の監督の大半が、丸の内御三家の方針に沿った人物になっていたと言われています。

ただ、そんな中で80年代後半には、丸の内御三家の中からも

「ちゃんとしたプロリーグを設立した方が良くない?」

という方々が出てくるようになり、90年に川淵三郎さんがプロリーグ検討委員会の委員長になったように、川淵三郎さんもこの1人としてJリーグの設立を構想します。

川淵 1992年秋からの発足を目指して、参加を希望するチームを募ったところ、20チームが手を挙げたわけです。そのチームが、プロ・リーグに参加できるだけの条件を充たしているかどうか、日本サッカー協会のプロ・リーグ対策本部で、各チームから状況を聞いて調査しているところです。

 

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このような流れもあり1991年にJリーグが設立され、川淵三郎さんが初代のチェアマンに。93年にはJリーグがついに開幕しました。

それをきっかけに川淵三郎さんは、古河電気工業を退社しました。

今でも、自身のTwitterでJリーグについて触れることが少なくなく、


川淵三郎さんの人生に大きな影響を与えたことは、想像に難くないですね。

サッカー以外にも広がる活躍

このような流れもあり、川淵三郎さんは現在でも日本のサッカー界に大きな影響を持っている人物なのです。

その影響というのは、サッカー以外にも広がりつつあり、過去・現在も経験している川淵三郎さんのサッカー以外の役職をご紹介すると、

  • 日本将棋連盟
  • 東京都教育委員
  • 心の東京革命推進協議会会長
  • 猪瀬直樹さんの選対本部長
  • 日本バスケットボール協会の会長

政治はもちろん、スポーツはスポーツでもサッカーに限らない幅広い活動を見せていますね。

また、東京オリンピックの選手村の村長として就任することも2019年に発表されており、オリンピックへの関わりも見せています。

最近の報道では森会長の後任として、名前も上がっている川淵三郎さんですが、このような経歴の持ち主なら、後任として指名されてもおかしくないでしょうね。

 

 

 

 

まとめ

この記事では、川淵三郎さんにフォーカスして、主にその経歴や学歴についてご紹介させて頂きました。

日本のサッカー業界が出来るまでに深く関わっている人物で、現在でも幅広い活躍をしている川淵三郎さん。

これからもどんどん日本のスポーツ業界に良い影響を齎して欲しいですね。

 

 

 

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