尾高惇忠(尾高新五郎)の家系図が衝撃!生家はどこ?子孫には同名の作曲家も居る

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渋沢栄一について知ったり、調べているうちに、尾高惇忠(尾高新五郎)についてもっと知りたい!と感じた方も少なくないと思います。

頭がいい・裕福なんていうイメージを持っている方も少なくないと思いますが、家柄的にかなりの名家のもとで生まれました。

この記事では、尾高惇忠の子孫や家系図という点にフォーカスして、尾高惇忠の家族や祖先・子孫についてご紹介していきたいと思います。

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尾高惇忠(尾高新五郎)の家系図

さっそく、尾高惇忠の家系図についてご紹介すると、

 

wikipedia

上記のようになっています。

かなり凄い人がたくさんいますが、その中でも注目したい人物について、いくつかご紹介していきます。

従兄弟・渋沢栄一と妹・千代

尾高惇忠の家系図や親戚を見て、外せないのはやはり渋沢栄一と妹だと思います。

渋沢栄一は、尾高惇忠の従兄弟にあたる人物で、渋沢栄一の概要については説明不要だと思います。

また、尾高惇忠の妹である「千代」は渋沢栄一の妻となる人物であり、渋沢栄一が従兄弟と結婚したのはもちろんですが、尾高惇忠との関係の深さには驚かされますね。

渋沢栄一は、現代風に言うと尾高惇忠の後のキャリア・経歴にも大きな影響を与えており、以下の記事で解説していますが、

尾高惇忠(尾高新五郎)はどんな人?富岡製糸場の場長だった!渋沢栄一との関係も
大河ドラマによって渋沢栄一に大きな注目が集まっており、同時に渋沢栄一の周辺の人物に興味が出た!という方も少なくないでしょう。 大偉人の渋沢栄一ですが、そんな渋沢栄一に大きな影響を与えた人物の1人であると言われているのが「尾高惇忠(尾高...

富岡製糸場や銀行での経歴には、渋沢栄一の縁が要因となっています。

家系図・血筋的に関係が近いのはもちろんですが、人生でも多くの影響を渋沢栄一から受けました。

息子・尾高次郎

尾高惇忠の次男の息子・尾高次郎。

尾高惇忠は、明治維新後のキャリアとして実業家としての道を歩むことになり、富岡製糸場の経営を4年行った後に、次に携わったのは銀行でした。

その銀行に深く関わったのが、尾高次郎です。

大学卒業後に渋沢栄一が創立し、自身の父(尾高惇忠)が支店の支配人を行っていた第一国立銀行(現在みずほ銀行系)に、就職します。

その後、第一国立銀行の様々な支店長を務め、後に武州銀行の頭取も経験しています。

大川家関連

尾高惇忠や渋沢栄一と直接的な血の関係は無いものん、渋沢家や尾高家と関係のある家として、大川家が挙げられます。

大川平兵衛が開いた道場は、尾高惇忠や渋沢栄一が在籍していたことがあります。

また、大川平兵衛の息子・大川修三は、尾高惇忠の妹である「みち子」と結婚しており、尾高惇忠と大川家は何かと縁深いのです。

大川家と渋沢栄一についても、深い関係があります。

尾高惇忠の妹・みち子と大川修三の息子に「大川平三郎」という人物が居ます。

大川家は道場を開いていたということから分かりますが、剣道系の家系であり、幕末から明治維新にかけて存在感の低くなる剣道で、かなり家計は厳しかった模様。

これにより、みち子は姉妹であり、渋沢栄一の妻である千代によくお金の工面をお願いしていたようです。

そんな家に生まれた大川平三郎は、剣道の道ではなく、実業家としてのキャリアを積むことになります。

13歳の頃には、渋沢栄一の書生となり、渋沢栄一の家で雑用等を行っており、その後は現在の東大に進学。

紆余曲折ありながら、師匠的な立ち位置である渋沢栄一との関わりも続けながら、最終的には「製紙王」と呼ばれる人物になり、大川財閥を作った当事者となりました。

 

 

 

 

尾高惇忠(尾高新五郎)の子孫には同名の作曲家が

次に、尾高惇忠の子孫という観点から、尾高惇忠の直接的な子孫ですごい人をいくつかご紹介していきたいと思います。

(尾高惇忠の息子・次郎以降の子孫)

尾高豊作

尾高次郎の長男で、尾高惇忠・渋沢栄一を祖父に持っている尾高豊作。

母親が渋沢栄一の娘(大内くにとの子供)、父親が尾高惇忠の息子という物凄い親戚を持っている尾高豊作は、尾高惇忠や次郎と同じように、銀行に関わることになります。

一橋大学を卒業後、武州銀行の副頭取・頭取を歴任。

上記したように、この武州銀行は次郎が初代頭取を務めた銀行となっています。

やはり、昔の企業なのでバリバリの同族経営ですね。

また、教育関係にも力を入れており、日本児童社会学会や郷土教育連盟といった創立した人物となっています。

個人としては、文科省等に関わって教育に深く関わりました。

尾高朝雄

先程ご紹介した尾高豊作の弟で、同じく尾高惇忠・渋沢栄一を祖父に持っている尾高朝雄。

彼も、尾高豊作と同じようにエリート街道を進んでいきますが、銀行家というよりも学問を極める道を進んでいきます。

現在の東大を卒業。東大を卒業したあとは、外交官になる事を志していたようですが、親族の反対等もあり、現在の京大・文学部、その後大学院に進みました。

大学院卒業後は、京大・東大の教授になりました。

外交官を志していた事が起因したのかは不明ですが、その後欧米各国に留学します。

憲法等国家の根幹に関わる部分で、たくさんの書籍を出版しました。

尾高煌之助

ここからは、尾高次郎は非常に沢山の子供を生みましたが、息子・孫でたくさんの学者を輩出しています。

尾高次郎から見た時に、孫の世代にあたる人物でなおかつ、学者の人物として「尾高煌之助」が挙げられ、この方は現在でも学者として活動されています。(現在85歳)

尾高煌之助は、経済学者として一橋・法政大学の名誉教授となっており、様々な文系の賞を獲得しています。

様々な書籍を販売しており、その大半は経済学に関するものになっています。

尾高惇忠と同姓同名の作曲家・尾高惇忠

渋沢栄一と深く関わっており、後の子孫も優秀な方をたくさん輩出した尾高惇忠ですが、その子孫で同姓同名の方がいます。

それが、作曲家として活動していた尾高惇忠です。

尾高次郎の息子は実業家・学者を輩出しましたが、音楽系で著名な人物もいます。

それが、「尾高尚忠」という方で、作曲や指揮者として活動していました。

そして、その息子、つまり次郎の孫にあたる人物に「尾高惇忠」がいます。

作曲家の尾高惇忠は、先程までご紹介した家系図の流れ的にも分かりますが、曽祖父に「渋沢栄一」「尾高惇忠」を持ち、2021年2月に亡くなった際には曽祖父の名前として「渋沢栄一」が挙げられていました。

亡くなったのが、2021年2月16日で、自身の祖先にあたる尾高惇忠・渋沢栄一が出てくる大河ドラマ「晴天を衝け」が放送されはじめたのが14でした。

もしかすると、視聴していたかもしれませんね。

(大腸がんによりお亡くなりになられたとのことなので、闘病中でそれどころではなかった可能性もありますが)

 

 

 

 

尾高惇忠(尾高新五郎)の生家はどこ?

上記したような優秀な人物をたくさん輩出した尾高惇忠の「生家」について気になった方も少なくないでしょう。

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実は、尾高惇忠の生家というのは、現在でも残っておる、なおかつ見学することが可能です。

(世界的に流行している病の影響で、外観だけのケースもあるようなので、見学の際は最新情報をチェックすることをおすすめします。)

渋沢栄一・尾高惇忠ファンとしては2階が気になるかと思いますが(襲撃を計画した場所)、残念ながら非公開の模様。

ここで歴史的に重要な人物が、何人も通っていたと思うと、感慨深いものがありますね。

 

 

 

まとめ

この記事では、尾高惇忠の家系図・子孫という点にフォーカスして、尾高惇忠の子孫はもちろんですが、その子孫についても詳しくご紹介させて頂きました。

遺伝なのか、環境なのかはわかりませんが、優秀な方の子孫は優秀という感じがします。

 

 

 

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