平岡円四郎は暗殺された!暗殺された理由・背景と犯人について

テレビ番組

徳川慶喜のサポート役として活躍し、渋沢栄一を見出した人物として有名な平岡円四郎。

非常に優秀な人物であったことが知られていますが、この平岡円四郎の暗殺によってこの世を去ることになりました。

この記事では、平岡円四郎の最期に焦点を当てて、犯人やその理由、そして背景となった当時の水戸の状況についてご紹介していきます。

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平岡円四郎の暗殺した犯人と状況

平岡円四郎の死因は暗殺となっており、犯人は「江幡広光」「林忠五郎」という人物が中心になって行われました。

平岡円四郎が暗殺された場所は京都町奉行所与力長屋という場所です。

暗殺が決行された当時、平岡円四郎は川村恵十郎と行動を共にしており、なんと川村恵十郎は襲ってきた両者を倒したのです。

つまり、暗殺者も暗殺した際に、平岡円四郎の護衛に斬られたということになりますね。

(江幡の方は、重症を負っていたため自決)

暗殺者を倒したものの、平岡円四郎は致命傷を負っており、そのまま亡くなりました。

当時、平岡円四郎は43歳だったようです。(1864年)

ちなみに、平岡円四郎は亡くなったものの、暗殺者を倒した川村恵十郎はその後も慶喜のもとで活躍しており、維新後も官僚として活躍していました。

平岡円四郎も、もしも生き残ったまま明治維新を迎えていたら、優秀な人物になっていた事間違いなしでしょうね。

 

 

 

 

平岡円四郎が暗殺された理由とは

次に、平岡円四郎が暗殺された理由という点についてフォーカスしていきます。

尊皇攘夷と公武合体

平岡円四郎が活躍したのは幕末であり、暗殺された時代も幕末になっていますね。

当時、日本は外国勢力をどう扱うか?という点に関して、大きく分けて2つの対処法が考えられていました。

それが尊王攘夷と公武合体です。

平岡円四郎はこの内、尊皇攘夷派の人間に暗殺されたと見られています。

尊皇攘夷を簡単にまとめると

「天皇が一番で、戦争して外国人を追い払おう」

というものです。

「尊皇」とは天皇を大事にする、「攘夷」が外国人を倒す。その2つがくっついて尊皇攘夷です。

また、天皇サイドが攘夷を主張していた背景もありました。

一方の公武合体とは、

「尊皇攘夷がベストだとは考えつつ、現状の日本ではそのようなことは不可能だと考える」

勢力を指しており、リアリティスト的なタイプですね。

公武合体では、幕府と朝廷の関係を深めることで幕府の支持率アップと権力強化を図る考え方です。

各派閥を分けると、

「長州と一部の水戸、朝廷」が尊皇攘夷。

「幕府、朝廷、イギリスに負けたあとの薩摩」が公武合体。

となっています。

暗殺したのは水戸藩の人物

徳川慶喜・平岡円四郎たちは、公武合体の中心的な人物と考えられており、この事から尊王攘夷派の人間から嫌われていました。

特に、平岡円四郎はブレーンとして活躍と見られていたようで、暗殺の対象となってしまったようですね。

ちなみに、暗殺をしたのは水戸藩の人物となっているので、尊王攘夷派の水戸藩の人物が暗殺したということになります。

尊王攘夷を発展させた一つが水戸学であると言われており、その水戸学の発展に寄与したと言われているのが徳川慶喜の父である徳川斉昭です。

つまり、徳川斉昭は尊皇攘夷を推し進めていた人物です。

尊王攘夷派の人間が、徳川慶喜に仕えている平岡円四郎を暗殺するのですから、どれだけ混沌としていたのか・・・

 

 

 

 

背景にあった当時の水戸の状況

次に、水戸藩の出身人物が、平岡円四郎を暗殺したということで、当時の水戸藩の状況が気になった方も少なくないでしょう。

つまり、なぜこのような暗殺者が生まれるに至ったのか?という点ですよね。

水戸藩の状況を理解するとスッキリすると思います。

水戸藩では、簡単に分けると

保守派(幕府追従・徳川斉昭嫌い)

改革派(尊皇攘夷・徳川斉昭好き)

に分かれていました。

徳川斉昭のカリスマ性から安定していましたが(保守派は徳川斉昭藩主の誕生により発生)、戊午の密勅の扱い等を巡って、対立が表面化。

最終的には戦争になるほどの内戦状態になっていました。

特に改革派に関してはちょこちょこと暴走しがちで、桜田門外の変を起こしたり、坂下門外の変を起こしたりしていました。

平岡円四郎の暗殺に関しても、改革派による暴走の一つなのかもしれません。

ちなみに最終的には、保守派が主導権を握ることになりますが、逆に戊辰戦争では保守派は旧政府軍となりますので、攻撃される側に。

(尊王攘夷は尊王だけを残して、倒幕という方向性に変わったため)

勢力を失っていた改革派ですが、新政府軍サイドの立場になるので、保守派が劣勢に。水戸藩内の保守派壊滅します。

 

 

 

 

まとめ

この記事では、主に平岡円四郎にフォーカスして、暗殺や当時の水戸の状況等についてご紹介させて頂きました。

幕末の勢力図って、本当に早ければ数年程度で勢力図・立場が変化するので、分かりにくい点も多いですよね。

 

 

 

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