横井利明の経歴・高校と大学の学歴をwikiより詳しく|評判は大丈夫?

政治

名古屋市長選では、4人の届け出が報道されています。

ただ、メディアの評価では現役の河村たかしさん・横井利明さんのどちらか?というのが概ねの予想となっているようです。

この記事では、そんな横井利明の経歴や学歴といった点について

  • 高校や大学といった学歴まとめ
  • 横井利明の教員時代から政界までの経歴
  • 横井利明の政治家としての評判

といった点についてご紹介しています。

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横井利明の生い立ちと高校をwikiよりも詳しく

横井利明さんの基本的なプロフは、

  • 名前 横井利明 (よこい としあき)
  • 生年月日 1961年6月 生まれ
  • 趣味 旅行・スポーツ関連
  • 元自民党市議
  • 道徳学区常任顧問
  • 豊田学区顧問
  • 明治学区顧問
  • 元名古屋市魏

となっています。

横井利明さんは、名古屋市南区観音町というところに生まれました。

 

横井利明さんは、保育園の園長として働いている父親の元で生まれ、この街にその保育園があります。

(道徳保育園)

そのため、この点を考慮すると、恐らく保育園の近くに住んでいた関係で、横井利明さんの生まれがこの街になったのでしょう。

その後、地元の「名古屋市立道徳小学校」「名古屋市立大江中学校」を卒業しました。

横井利明さんの高校は「名古屋市立桜台高等学校」という高校で、現在の偏差値は50~65程度のようです。

県トップの進学校といった高校ではありませんが、そこそこ賢いといった部類の高校でしょうか。

ちなみに、この「名古屋市立桜台高等学校」とは、横井利明さんが政治家になってからも付き合いがあるようで、

名古屋市立桜台高等学校ハンドボール部監督である天神浩詞先生が、全国高等学校体育大会(以下インターハイ)ハンドボール競技大会<男子>の報告におみえになった。

 

横井利明オフィシャルブログ

横井利明さんの卒業した高校から、わざわざ先生が報告に来た事もあった模様。

一般的な市会議員といった感じがしますね。

 

 

 

 

横井利明の大学と最終的な学歴

次に、横井利明さんの最終的な学歴となる大学についてご紹介していきたいと思います。

横井利明さんは、高校を卒業後、大学は「東京学芸大学」に入学され、そのままストレートに卒業しました。

そのため、横井利明さんの最終的な学歴は大卒・東京学芸大学という事になりますね。

横井利明さんは、東京学芸大学・教育学部に在籍していたようで、この名称からも分かりますが、教育関係を志していたようです。

偏差値は50~65と、大学も高校と同じくらいのレベルか、それよりも少し高いくらいの大学に在籍していたようです。

ちなみに、この大学かなりの有名スポーツ選手を輩出しており、サッカー選手が特に多いようですね。

 

 

 

 

 

横井利明の経歴・教員から政界まで

横井利明さんの大学卒業後の経歴について詳しくご紹介していきます。

葛藤と卒業後の進路

横井利明さんの大学時代に在籍していた学部からも、教育者を志していたというのは想像に難くない。

冒頭でも簡単に触れましたが、横井利明さんの家は保育園を運営しており、祖父・父は「道徳保育園」の園長として活躍していました。

このような点を考慮すると、横井利明さんも保育園の園長になるのかな?と感じますが、横井利明さんが志したのは「小学校の教師」でした。

これを、父に想像したときはかなりの大反対を受けたようです。

横井利明さんの父は、横井利明さんが跡取して保育園の園長として活躍する事を望んでおり、教師は「10年間だけ」という期間限定のものだった模様。

教師としての活躍

結局、横井利明さんは、1984年から名古屋市立大生小学校、1990年~91年まで名古屋市立港西小学校の教員として働きました。

上記のような「10年間だけ」というリミットがあった事から、横井利明さんは教師としてハードに働いてたようで、休日返上状態で勤務を続けていた模様。

ちなみに、このときの経験は市議会議員として後に活躍する際も活きていたようです。

実際、これによる影響かは不明ですが、横井利明さんは学区顧問、また教育機関の顧問として

  • 市ソフトボール協会南支部顧問
  • 南区レクインディアカ連協顧問
  • 桜台高校桜丘会相談役
    (出身高校)

といった組織の顧問になっています。

1991年には政界へ

1984年から、教師として活躍していた横井利明さんですが、教師をわずか7年勤めて、その後政界進出をしています。

これには訳があったようで、横井利明さんは突然「出馬してほしい」と地元の市議会議員に頼まれたようです。

かなりいきなりで、教師の職も好きだったので、夜中まで説得されたものの、当初は出馬を断っていた模様。

しかし、当時勤めていた学校の校長から「手配は済んでいる、教育委員会からの要請もある。辞表を出しなさい」といった旨の話をされた模様。

なんだか突然すぎませんか・・・

何れにせよ、このような経緯があり、突然政治家として出馬する事になった横井利明さん。

現在、60歳の横井利明さんですが、当時は30代という事もあり、選挙活動中は有権者から反対の声もあったようです。

そんな苦労もありましたが、1万票を超える投票で当選。横井利明さんは、1991年・市議会議員となります。

なぜ、突如の出馬となったのか?

横井利明さんから公表されている出馬までのエピソードは上記のようなものとなっており、客観的に見ると突然過ぎますよね。

ここからは、あくまで「推測」となりますが、恐らく横井利明さんの父親「横井淳」さんが、出馬予定だったのでは?と推測します。

というのも、横井利明さんの父親の横井淳さんは、祖父が保育園を創業し、そのまま園長を就ぎ、「公益社団法人名古屋民間保育園連盟」という組織の会長になった経験もあった人物です。

 昭和62年横井淳氏会長就任
 平成元年長谷川正孝氏会長就任
 平成11年近藤謙治氏会長就任
 平成13年渡辺徹朗氏会長就任
 平成15年黒田優氏会長就

公益社団法人名古屋民間保育園連盟

(同姓同名の人物の可能性もあります。あくまで推測です。)

恐らく、教育関係・地域におけるそこそこの大物的な存在だったのではないでしょうか。大物とまでいかなくても、重要視される人物だった可能性はあるでしょう。

そこで、横井利明さんの父に出馬の話が予定されていましたと仮定します。

しかし、1991年。つまり、横井利明さんが出馬することになったのと同じ年に、体調を崩したという旨が、横井利明さんのブログで明かされています。

私の父は平成3年より、腰痛による激しい痛みで苦しむようになり、接骨院や鍼灸、地元の大きな病院や中程度の病院などいくつかまわったものの、原因がわからないまま1年が過ぎた。そして、平成4年夏、「苦しいのですぐ帰ってくれ!」と、父から私の携帯電話に緊急電話。急いで帰ったところ、身体中からあぶら汗を出し、父は身動きができなくなっていた。

横井利明オフィシャルブログ

横井利明さんの父が出馬する予定だったもの、体調を崩し断念。

そこで、息子だった横井利明さんに声が掛かった。という可能性はないでしょうか。

これにより、ある意味、強引に横井利明さんが出馬する事になった経緯というのは理解出来ます。

但し、あくまで「推測」に過ぎません。

 

 

 

 

横井利明と政治家としての評判

次に、横井利明さんの政治家としての評判についてご紹介していきます。

横井利明さんは、1991年から直近まで市議会議員として活躍しており、当選回数は7回。

2019年の統一地方選において、南区の選挙区で1万票を獲得。トップ当選、2位の藤沢忠将さんは7700票と、そこそこの差をつけて当選しています。

トップ当選になっていることや、何度も当選している事を考慮すると、地元からの評価は受けていると考えてよいでしょう。

また、長年市議会議員をやっている事から、「政策通」とメディアで表現される事もあります。

 

 

 

 

 

まとめ

この記事では、横井利明さんの学歴や経歴についてご紹介させて頂きました。

政治家として30年間活動して、横井利明さんにとっては1つの区切りになりそうな市長選は、4月25日です。

 

 

 

 

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