北角裕樹の経歴と学歴(高校・大学)をwikiる|大阪の校長も経験

社会情勢

ミャンマーに自宅を構えて活躍しているジャーナリストの北角裕樹さん。

ミャンマーの社会情勢が不安定になっているという事もあり、なぜそんなところに?と感じた方も少なくないでしょう。

この記事では、そんな北角裕樹さんの経歴や学歴という点にフォーカスを当てて、

  • 北角裕樹の出身高校
  • 北角裕樹の学歴(大学)
  • 北角裕樹の経歴

という点について、ご紹介しています。

北角裕樹の学歴(大学と高校)をwikiよりも詳しく

まず、はじめに北角裕樹さんの簡単なプロフをご紹介していくと、

  • 名前 北角裕樹(きたずみ ゆうき)
  • 年齢  1975年生まれ  45歳
  • ミャンマー・ヤンゴン在住
  • 肩書 フリージャーナリスト・ヤンゴン編集プロダクション代表

出身は東京都です。最終的な学歴についてご紹介すると、早稲田大学を卒業されているようですね。

早稲田大学といえば有名な私立大学なので、後の経歴からも分かりますが、かなり優秀な方なのでしょう。

北角裕樹さんの卒業した高校については公開されていません。

ただ、東京都出身・早稲田大学への合格を輩出するような優秀な高校だとという点を踏まえると、関東の有名私立高校の可能性もあるでしょう。

この点を踏まえ、早稲田大学の出身高校(東京都に限る、早稲田系は除く)を多い順にご紹介すると、

  • 開成高校
  • 都立西高校
  • 日比谷高校
  • 桜蔭高校
  • 海城高校
  • 国立高校

等が挙げられます。どれも偏差値は70超えの優秀な高校です。

北角裕樹さんがこのような高校出身なのか?は不明ですが、単純に出身高校として多いので、他の一般的な高校よりも確率は高いでしょう。

また、北角裕樹さんは高校時代に、ボート競技の全国大会で優勝した経験をもっています。上記のような偏差値の高い高校で、なおかつボート競技が強い所の可能性が高そう。

 

 

 

 

大阪の中学の校長も!北角裕樹の凄い経歴

次に、北角裕樹さんの経歴について、詳しくご紹介していきます。

90年代~ 大学卒業後と商社マン

北角裕樹さんは、90年代に大学を卒業後、すぐに就職はしなかったようです。

大学卒業後に会社に入るまでに、中国~アメリカ・韓国といった国へ渡航。

恐らく、バックパッカー的な活動をしていた可能性が高いでしょう。

そこから、伊藤忠商事へ就職します。大学卒業後に海外に行っていた事を考慮すると、恐らく海外と関わる仕事がしたかったのかもしれませんね。

伊藤忠商事は、日本の商社で、もともとは伊藤忠系の財閥企業です。

恐らく最も日本で知名度の高い企業の1つでしょう。(一部上場)

商社なので様々な身の回りの製品に関わっていますが、有名なものを1つ挙げると「ファミリーマート」のブランドを持っている企業として知られています。

00年代~日経新聞社時代

伊藤忠商事に就職したものの、かなり早い段階で(恐らく数年程度)、伊藤忠商事を退職しています。

もしかすると、北角裕樹さんの性格と合わなかったのかもしれません。

伊藤忠商事を退職した後に、務めたのは「日経新聞」でした。

この日経新聞で12年間勤務しており、これが北角裕樹さんの人生に大きな影響を与えたようです。

というのも、北角裕樹さんは自身の事を以下のように評価しており、

現在は会社を経営していますが、あくまで私のアイデンティティは “記者” ですので、ジャーナリズムを通して情報を発信していくことが私のミッションになります。

アセナビ

この日経新聞・記者時代が、自身の経歴に大きな影響を与えている事が分かると思います。

日経新聞の社内では主に「社会部・消費産業部・アジア部」といった部門を担当していたようで、ジャーナリストとして活躍していたようです。

また、北角裕樹さんの向上心がかなり高かったようで、北角裕樹さんは日経新聞の記者として働きながら、メディアの問題点にも目を向けるように。

(主に危機管理の点から)

このような影響から、危機管理を学ぼうと、日経新聞の記者でありながら、休日は大学院に通うという日々を送っていたようです。

意識が高いですよね。

10年代~ 大阪の校長

日経新聞での経験は、北角裕樹さんにとって記者という大きな人生の柱を作ったのはもちろん。

これに加えて、もう一つ大きな影響を与えました。

それが「大阪の校長」に繋がります。

というのも、北角裕樹さんは記者として当時の大阪府知事である橋下徹氏を取材したり、大阪における教育に関わっていた藤原和博氏等の影響を受けていたようです。

ちょうど同時期に大阪にて、民間人校長の公募がスタートしており、北角裕樹さんがそこにチャレンジしました。

これにより、民間人校長として数年間(12年~14年)活躍。

当時は最年少校長として、メディアに取り上げられていた事もあります。

しかし、大阪在住の方なら記憶にある方もいるかもしれませんが、民間人校長の公募に関しては開始の数年間混乱が相次いでおり、その中の校長の1人として北角裕樹さんがいました。

結果的に、2014年に北角裕樹さんは校長を退職しています。

具体的な理由については明らかにされていませんが、メディアに出てきた話としては「教頭とのトラブル」「保護者とのトラブル」等の情報が出てきています。

「いやー大変ですわ」

1か月ぶりにお会いした北角裕樹氏、いや、大阪市立巽(たつみ)中学校の北角校長の第一声である。

リセマム

色々と困難があったのでしょうね。

現在~ミャンマーで活躍

民間人校長を経験した後に、北角裕樹さんは2014年「ミャンマー」に活動の拠点を移しました。

ミャンマージャパンの編集長を務めていたようで、もともと海外が好きな事・記者としての経験が活きたのかもしれませんね。

2016年にミャンマージャパンから離れて、ヤンゴン編集プロダクションを立ち上げました。

ヤンゴン編集プロダクションは、多種多様な事業を行っていますが、主に

  • 取材や記事の作成
  • 編集
  • 映像制作関連
  • ミャンマーにおける取材活動のサポート
  • 日本の媒体からミャンマーに向けた情報発信のサポート

等を行っているようで、全体的に情報に関する業務を扱っているようですね。

2021年4月に、北角裕樹さんが現地の治安部隊に連行されたという情報が出ており、恐らくこの情報を扱っているという点から、狙われたのでは?という声が出ています。

というのも、2021年2月。同じ様に、北角裕樹さんは連行されており、そもそもマークされていた可能性が高そうです。

また、北角裕樹さんの過去の情報発信をチェックしてみると、ミャンマー国内における情報発信や記者の報道規制について、発信しているのが確認されます。

ミャンマー情勢に詳しく、ミャンマーの報道機関等との関わりを持っていた可能性もあるので、北角裕樹さんが狙われた可能性もあるでしょうね。

 

 

 

 

まとめ

この記事では、主に北角裕樹さんにフォーカスをあてて、経歴や学歴についてご紹介させていただきました。

現在でも、連行されたという情報のみで、開放されたといった報道はされていません。

気が抜けない状態ですが、何れにせよ無事をお祈りしています。

 

 

 

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